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よもやま情報館
弱小病院の被災下の現実1
阿蘇立野病院 理事長 上村晋一
当院は2016年4月14、16日熊本地震(前震、本震)に被災しました。あれから8年半が経ちお蔭様でインフラはほぼ復興致しました。ご支援賜り有難うございました。時間の経過と共に以前は口にしたくなかったことが今になれば文章に表すこともできるようになりました。そこで今回と次回のコラムで思い出したくもなかった立腹案件を2つばかり紹介したいと思います。
まず1つ目です。当時は病院所在地の立野地区ではライフラインが全て途絶され、中でも最も重要な水の復旧はおそらく5年はかかるだろうという噂が流れていました。結果的には1年半ですみましたが、そのような絶望的な状況では診療再開の目処は全く立たず、したがって職員の給与も支払うことはできません。すなわち全職員を解雇(全く嫌な単語です!せめて離職勧告にします)せざるを得ませんでした。地元の労働基準監督署の指示では、全員分の離職予告手当金(1ヶ月分の給与)を準備せよ、それも1ヶ月以内でという無慈悲な対応でした。支払い期限を延ばしてもらおうと法人本部長が当局にかけ合ったところ、こんな悲惨な状況でも職員の証言の記載が必要(!)と言われ、連休前ギリギリの4月28日に必要書類を届けると返答しました。そこで行政職員から帰ってきた言葉がなんと「いやあ、私たちはその翌日から連休なんですよね。」「・・・はあ?!」結局書類は受理されたものの、当然期限内には払えるはずもなく始末書にサインさせられるという、怒りを通り越し何ともやるせない理不尽な思いは終生忘れることはないでしょう。やっと芽生えてきた立ち直る気力を根元よりあっさりと引き抜かれたことは想像に難くないと思います。
地震はその被害が場所によって著しく変容しています。極めて局所的かつ散在的でこれが地震と水害の最も異なるところだと思います。この熊本地震ですら、私たちの病院から山を越えた隣りの市の監督署の職員は、状況を把握していなかったのではないか、職務怠慢ではないかと今でも歯痒い感情が噴き出します。なぜ自分たちだけが・・・この感情にそういった無慈悲な言動や行動が加わる時、人間は崩壊するのだなと心底恐怖を感じました。
「その国あるいは組織の隆盛興亡はそこにいるその人による。」それは国家、行政組織あるいは民間組織にも通じる真理であろうと確信します。今では私自身がこのような対応を患者や家族にとってないだろうかと自省することができるようになりました。状況によっては忖度も必要でしょう。そのような気持ちになるほど余裕が出てきたことに感謝せずにはいられません。