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北海道胆振東部地震(ブラックアウト)を経験して

社会医療法人アルデバラン
手稲いなづみ病院
理事長 齊藤 晋

2018年9月6日、北海道胆振地方中東部を震源とするマグニチュード6.7の地震が発生しました。特に震源地に近い厚真町では、最大震度7という大きな揺れが観測され、甚大な被害が報告されました。私が住む札幌でも震度6弱から5強という強い揺れが記録され、その瞬間、未曾有の危機が訪れたことを肌で感じました。
その日は午前3時7分に地震が発生し、私は就寝中でした。突然の大きな地鳴りと共に、今まで体験したことのない激しい揺れが続き、恐怖で体が固まりました。周囲では本棚や家具が倒れそうになり、しばらく動けずにいましたが、揺れが収まるとほぼ同時に停電が起こりました。部屋の中は真っ暗になり、私は急いで窓から外の様子を確認しました。驚くべきことに、周囲一帯が停電していることに気付き、私のマンションだけでなく札幌全域が暗闇に包まれているのだと悟りました。
家族も揺れで飛び起き、全員が無事であることを確認した時、すぐに私の頭に浮かんだのは、勤務先である病院の状況でした。妻が懐中電灯を手渡してくれ、私は急いで病院に向かう準備をしました。エレベーターは当然止まっており、階段を駆け下りてマンションの外へ出ました。外は街灯も信号もすべてが消えており、非日常的な光景が広がっていました。道路に出ると、車が少しずつ走ってはいましたが、信号が機能していない交差点でも、お互いに譲り合いながら慎重に進行している様子が見受けられました。何とか空車のタクシーを見つけ、懐中電灯を振り回してタクシーを止めることができました。
タクシーに乗りながら病院に電話をしてみると、全館停電中ではあったものの、非常電源が作動しているとのことで、少し安堵しました。しかし、この非常事態に対する警戒心は収まらず、早急に対応が必要だと感じました。およそ30分後、病院に到着しましたが、建物全体は真っ暗で、自動ドアは開け放たれていました。私はすぐに病棟へ向かい、状況を確認しました。
当院は特に人工呼吸器を装着した患者が非常に多く、病棟の約2/3がそういった患者さんで占められています。そのため、停電が長引けば大きな問題が発生する可能性が高く、予断を許さない状況でした。幸いなことに、非常電源のおかげで人工呼吸器やシリンジポンプは稼働していましたが、電子カルテは電源が落ちていて使用できませんでした。情報収集は非常に限られており、私たちの情報源はラジオのみ。首相官邸に対策本部が設置されたとの報道が流れていましたが、私たちにとっては具体的な支援や見通しが得られないまま、事態の悪化に備えるしかない状況でした。
さらに困難を感じたのは、当院の自家発電機が最大で3時間しか作動できないという事実でした。これまでその限界を超えて発電機を稼働させた経験がなかったため、燃料が尽きれば、人工呼吸器やその他の重要機器が停止するリスクが非常に高まっていました。そのため、最悪の事態に備えて、私たちは迅速に対策を講じました。まず、人工呼吸器が停止した場合に備え、アンビューバッグやジャクソンリースを人工呼吸器のある病室に配置し、必要に応じて手動で換気ができるよう準備しました。さらに、職員を常に配置し、機器が停止した場合に対応できる体制を整えました。
しかし、最も大きな課題は燃料の確保でした。当院の発電機は軽油で稼働しており、その燃料をいかにして確保するかが喫緊の課題となりました。事務職員はポリタンクを持ち、当院の救急車に乗り込み、近隣のガソリンスタンドを回ることになりましたが、停電のために汲み上げ式のスタンドでは給油ができず、吊り下げ式のガソリンスタンドを探して回る必要がありました。こうして、ガソリンスタンドと病院の間でピストン輸送が始まりましたが、道路は地震の影響で渋滞しており、燃料の供給は常に時間との戦いでした。燃料が届くまでの時間は、まさに綱渡りの状態で、緊張感が高まるばかりでした。
さらに、私はこの非常時において近隣の手稲渓仁会病院に支援を依頼しました。手稲渓仁会病院ではすでに対策本部が設置されており、広域災害救急医療情報システム(EMIS)の代行入力を行っていただけるという支援を受けることができました。この支援は非常に大きな助けとなり、私たちは人工呼吸器装着患者の転院搬送を迅速に進める準備ができました。患者さんの情報をまとめ、どの患者を優先して転送するかのトリアージを行い、受け入れ先の病院が決まり次第、DMATに依頼して搬送を開始しました。
その後DMATのチームが到着し、自衛隊の大型救急車も投入されました。搬送作業はエレベーターが止まっているため、職員は階段を使って担架で患者さんを1階まで降ろす作業を行いました。自衛隊の助けを借りて、次々と患者さんが搬送され、まさに大掛かりなオペレーションが展開されていきました。第一陣の搬送が無事に完了し、次の搬送の準備をしている中、外はすっかり日が暮れていました。この時点で、私たちはこの事態が長期戦になることを覚悟し始めました。
その頃、札幌市内の一部で停電が復旧し始めたという情報が入りましたが、当院は依然として停電が続いており、自家発電機がフル稼働している状況でした。さらに、発電機の冷却水温度が徐々に上昇しており、いつ停止してもおかしくない危険な状態にあるという報告が入りました。これに対処するため、第二陣の患者搬送の準備を急いで進めていたところ、午後11時55分頃、ようやく病院内の電気が復旧しました。突然、暗闇の中で電気が点いた瞬間、病院内は安堵の声と拍手に包まれ、全員が一斉に緊張を解きました。
この地震とブラックアウトを経験して、私は医療現場における非常時対応の重要性を改めて痛感しました。停電や設備の故障に対する準備がどれほど重要であるか、そして近隣の医療機関や自衛隊、DMATとの連携がいかに大きな支えとなるかを身をもって体験しました。この危機を乗り越えられたのは、迅速な対応と、支援してくださった多くの方々の協力があったからこそです。
そして今年1月1日発災の能登半島地震においても、被災地の医療機関が迅速な対応を行い、多くの命を救うために尽力したと報道されています。このような大規模災害が続く中、私たち医療従事者にとって、平時からの準備と地域との連携はますます重要になっています。こうした経験を教訓とし、今後も非常時の対応体制を強化し、地域医療における責務を果たしていくことを強く感じています。